セントラル便り

油彩つれづれ8 雪しぐれ−

つくばセントラル病院脳神経外科 榎本貴夫

雪しぐれ
時雨《しぐれ》という言葉は知っていても、我々関東の人間にとって、それが何であるか説明ができない。都人が歌に詠んだ京都特有の風流を、田舎人が言葉のみ真似をしたからである。広辞苑によれば時雨とは「過ぐる」から出た語で、通り雨の意であり、特に秋の末から冬の初め頃に、降ったりやんだりする雨とある。
一昨年《平成16年》頃であったか京都で新緑の保津川下りを楽しんだ。その日の夜街を散策している最中、瞬時パラパラッと時ならぬ雨に見舞われた。折りしも夕食の場を探していたこともあり、近くにお晩菜屋を見つけ飛び込んで難を逃れた。後で分かったことであるが其処は案内書にも載るほどの店であったのであるが、その時は知る由もなかった。入ると中年の女将と若い娘がカウンターの中にいて京都の家庭料理を単品で作ってくれる、それを肴に酒を飲むのである。居心地がいいのか、わけ有りなのか中年、初老の男たちが読み物を左手、杯を右手に動かない。そのうち我々の会話に誘われてか隣に座っていた初老の男性が話し掛けてきた。いろいろ話した中で空海の話題が出て、今現在国立京都博物館で高野山秘宝展が開かれているから是非行ってみなさい、又そのうち山そののもに行ってみるといい、高僧の修行時の宿舎が残っている、とのことであった。翌日、博物館で数々の秘宝を目の当たりにして、当時の僧たちの審美眼の確かさ、そしてそれを具現化した職人たちの技の高さに驚嘆したのであった。これはNHKでも放映されたのでご存知の読者も多いと思われる。
今年(平成18年)3月奈良から和歌山を通り三重へ抜ける旅をした。高松塚古墳から高野山を経て熊野に抜ける道筋である。東京から新幹線を利用し、快晴の空の下名古屋からバスに乗った。しかし西に向かうにつれ気温が低下し、天気は次第に怪しくなった。東名阪自動車道路にさし掛かるころには乱気流を伴い波状的に押し寄せる黒雲に襲われた。そのうちに暗雲は白雪を混じ、横っ飛びに、時ならぬ吹雪となった。高野山に通じるなだらかな山塊を少しずつじりじりと上昇する間も横殴りの雪は時折青空も垣間見せながら降りみ降らずみして続いた。高野の名の由来もここから来たのであろう延々と続く余り標高差の無い山並みを小一時間も走ったであろうか、そしてその日の旅の終わりに近く、勾配・高度も増して車が山裾を軋みながら左旋回しつつ西斜面に出た、その刹那、終生忘れ得ぬ一景を観た。幾重にも左右からつづれ重ねになった尾根には薄雪がかかり、彼方の空から低く雲が切れ散って抜けた空間を明度の高い赤橙色の色彩が満たし、頭上からは純白の雪が狂ったように視界を横切り、鬱蒼と茂る杉林は薄暗いシルエットとなった。あっと息を止めたがカメラを向ける間もなく車は左方回転を続け視界は尾根影の薄闇に遮られた。その後幾度か西斜面を通過したが時間の経過のためか同じ景色を見ることはできなかった。
その日の夜は何だか自分でもよく理解できなかったが、何かを琴線に感じたような気がした。ぼんやり天井を見上げつつ、とろとろしたまどろみの中、無数の死者が眠る高野山の宿坊の一室で眠りについた。 

2006 4 28

作 脳神経外科 榎本 貴夫
作 脳神経外科 榎本 貴夫
Back

医療法人つくばセントラル病院
〒300-1211 茨城県牛久市柏田町1589-3
電話 : 029-872-1771
FAX : 029-874-4763
E-Mail:info@central.or.jp