油彩つれづれ 9
雪月花
―月待ちの滝によせて―
つくばセントラル病院脳神経外科医師 榎本貴夫
英国留学中、留学先の後見人であるTill先生に娘の名前を聞かれ、その意味するところの説明を求められたことがあった。その時私はYukikoはsnow girlであると説明したが余り感心した素振りは無かった。わが国の美意識の代表的なもの雪月花の中でも筆頭に書かれている「雪」である。しかしよく考えるまでもなく四、五メートルも積雪し雪下ろしに追われる生活を美の極致と看破することはできまい。やはり京都の薄雪化粧が施された庭の松、池を知る者の風流であろう。これを我が物の如く信じた東国人の勇み足であろうか。
「花」に異論はあるまい。「月」はいかかであろうか。
中国で名月を詠じた詩篇は多いが、その中に李白の秀作、山中独酌がある。「・・独酌無相親 挙杯遊明月 対影成三人・・」 親しい相手も居ないので独りで飲んでいたら月が出てきた、そしたら影法師も出てきたので三人で遊んだのさ・・情趣の極みである。わが国でも平安時代の才女清少納言による随筆枕草子一本二十五に「・・荒れたる家の、すすき深く、むぐら延びたる庭に、月の隈なく明かく、済み昇りて見ゆる。また、さようの荒れたる間より洩り来る月。荒うはあらぬ風音。・・」とある。伸びたすすきの間から明るい月の光が洩れ、そこに静かに風が吹き渡る・・とってもいいのよ、と言っている。二十代後半の女性の美意識が、以後如何に我々のこころの有り様を支配してきたか、驚くの他はない。下って中世、吉田兼好の著した名著徒然草第二十一段にも記載がある。『万のことは、月見るこそ、慰むものなれ、ある人の「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならん。』つまり、月だ、やれ露だといってみたところで仕方あるまい。受け止めるこころがあれば「あはれ」を感じないものはなかろう、と言うのである。まさに正論であろう。そして更に続ける。『月花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。』月や花は勿論だけど風だっていいものだ。特に岩に砕け散る清冽な水流などは時の流れを超越して素晴らしいものだ、と。私ごときが美を論ずるのは恥じ入ってここで止めよう。
ところで去年の初夏、久慈に茨城屈指の名瀑「月待ちの滝」を訪ねたことがある。水戸から北に国道118号を幾ばくか上り、袋田の滝の先で右に折れ、山中に入る。と程なくその近傍に至り、下車して数分の散策で滝を見ることが出来た。15mの落差で二列の清流が落ちる。時に水量が増すと一本に和合すると云う。艶な話ではないか。その名にあまりにも浪漫的な響きがあり、由来を紐解いた。信仰に関係するらしく、講の後に23日の月の出を待つ、主には婦女子のお祭りがあったようである。これは安産の願いにも通ずるものがあるという。訪れた時、丁度寒冷前線の通過でもあったのであろうか、突然の暗雲と雷鳴、驟雨に見舞われた。程なく晴れ上がった夏の青空を瀑布の裏から垣間見ることができ、筆をとった。
月を待つ たかねの雲は晴れにけり 心ありける 初しぐれかな −西行法師―2007 6 21
作 脳神経外科 榎本 貴夫
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