油彩つれづれ 11
誰のために死ぬのか
つくばセントラル病院脳神経外科医師 榎本貴夫
若い頃は酒の席で何の為に生きるのか、などと硬派よろしく口角泡をとばした事はいずれもご経験かと思う。狭い意味でのme-ismが蔓延している現代では答えは簡単であろう。しかし同じ意味でも発想を逆転して、じゃ何の為、誰の為に死ぬのか、と訊ねられると答えは難しい。弁慶は信頼してくれた雇い主義経の為一命を賭した。牛久助郷一揆の勇七、吉十郎、兵右衛門の三氏は貧民を救う為義憤に殉じた。会津の少年白虎隊は幕藩体制への忠義に身を焼いた。若き少女ジャンヌダルクは自由の為に、ガリレオガリレイは科学的真理の為に身を捧げた。知覧から辞世の筆を残して飛び立った特攻隊の少年兵(彼らに侵略の認識があったかどうかは甚だ疑問である)はお国の為に散った。三島由紀夫は神国樹立の野望の為に腹を切った。もうこの辺でいいでしょう。論語ではないが、その心を一言で、と訊かれたら如何なものであろうか。これらの人たちは自らが正しいと思いこむそのプロセス即ち“信念”に殉じたと云えるのではないであろうか。如何であろうか。
過日長崎に足を延ばした。そのシンボルとも云える大浦天主堂は1864年に建立され、現存する日本最古の洋風建築である。グラバー邸より観ると深緑に包まれ文化交流の国際都市長崎にふさわしい平和の象徴のようにも見えた。がしかし案内書をみればここにも人間の歴史はあった。1596年26人の聖人が殉死(恐らくは拷問死)し、その慰霊のため建立されたのだ、と云う。天草四郎率いる島原の乱の平定後悪名高く現今でも使用可能な言葉として残る‘踏み絵’が出現した。たかが紙っぺら一枚、信ずるが故に自らの命が懸っているとは知りつつもこれを踏みつけることができない。門徒であるかを問うているのではない。信ずる心の深さを検証しているのである。‘踏み絵’とはまさに人類が到達した最も狡猾な知恵の一つであろう。当座は踏み絵の勝利であったのであろう、しかし今では彼らの‘信念’が勝利しているのではないか。この碧空に誇らしげに屹立する白き会堂を見ていると少なくとも私にはそう思えてくるのである。その喜びが描けるのか、あるいは苦しみが滲み出てしまうかその判断は読者諸賢に委ねたい。
「長崎 天主堂」 作 脳神経外科 榎本 貴夫
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