油彩つれづれ 12
風の力
つくばセントラル病院脳神経外科医師 榎本貴夫
茨城の北端にある小都市に友人O氏を訪ねたことがある。氏には高尚な趣味がある。文人肌のご尊父と聞く。血は争えないもので、仕方あるまい。物拾いをしていると言うから、一体何をまたと訊けば、陶片(正確には磁器の破片)であると言う。氏によれば、ここは昔、この地域の基幹港であり、江戸時代には隆盛を極め、遊郭などもあったのだと云う。当然商いで富を築き上げた者も居たであろう。財力を持ったものは伊万里を求めたと云う。いわゆる「下り物」である。これらが栄枯盛衰、生々流転のなかで破損廃棄の憂き目をみた物もあったのであろう。そのような物が落ちているのだと氏は言う。成る程、ありそうな気もする。ところで瀬戸物を大八車あるいは馬で遠くへ運ぶことはできまい。もし運べば即座に破損してしまったであろう。どう考えても船舶による運搬しか無かったと思われる。当時としては北前舟がそれである。
ものの本によれば鎌倉時代から沿岸の海運が盛んになり廻船と呼ばれていた。江戸期になると更にこれが発達した。ひとえに幕府が北陸東北地方の年貢米をいかにして入手するかとの苦慮熟慮の結果であるらしい。東西の航路があるが、西回りとは日本海沿岸の港から関門海峡・瀬戸内海を経て大坂に至り、紀伊半島から太平洋沿岸を遡って江戸に達する海上輸送である。この西回り航路は1671年(寛文11)河村瑞賢により新しく設定された。安全性が高まるにつれ商業の要ともなった。ここで活躍した船を北前船という。茨城は津軽経由の東回り海路に含まれるが相互に行き来していたであろうことは容易に想像できる。木造船ではあるが幕末期には大型化し1500〜1800石というから一石を0.28m3として500m3すなわち排水量として500トンの巨体を2週間で、順風であれば3〜4日で大阪江戸を結んだと云われる。燃料は風である。驚愕の念を禁じえないのである。これは明治に鉄道網が整備されるまで存続していたのである。終った歴史ではない。今、愚かなる人知を超えるものとして「風の力」は必ずや近未来に蘇るであろう。
ところで去年の2月に鮟鱇なべを楽しみに行った。鮟鱇の味も格別ではあったがとりわけ昼の美酒は何物にも代え難いものであった。ほろ酔い加減で外に出て海を眺めていたら風の中から漁師やら商人達のさんざめきが聞こえてきた。おや変だなと思い遙か沖に向け酔眼を細めた。波間に船影を見たような気がして、なぜかそれが千石船であると確信し脳裏のスクリーンに焼き付けた。美酒、美酒、なにごとも真昼の美酒である。穏やかな冬の日に心をまかせよう。
ところでO氏も齢四十を越えたであろう。今でもたまには北風に漂いながら「風の力」、ロマンのかけらを求めて彼の地をさまよい歩くことがあるのだろうか。
作 脳神経外科 榎本 貴夫
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