油彩つれづれ 15
回想療法 ―クワイ川、戦場にかける橋―
龍ヶ崎牛久医師会 つくばセントラル病院脳神経外科 榎本貴夫
認知症治療の一つに回想療法と言われるものがある。過日当院でそのセミナーが開催され、私も受講した。それによれば患者の人生の中で最も輝いた一時期を切り取り、その時の話題を語り合う中で次第に話題、時間軸を広げていこうとするものであった。忙しい外来の中ではなかなか難しいことではあるが、私の外来でも戦中戦後の話題が話題になることがある。従軍経験者は80代後半であり記憶も曖昧になりつつあるが、如実にありありと南方の島での生活を語れるご老人が二人いる。その苦労話にはリアリティーに富み、我が日本国が、小生がこの世に参加する数年前までどのような様であったのか、その一部を垣間見ることができた。
さて自分にとっての回想は如何なるものであろうか。 私は英国ロンドン、Queen Squareの神経研究所へ留学していた事がある。その時の話であるが臨床講義で“足の裏灼熱症候群”の話があった。そこでマレー半島に侵攻した日本軍により捕虜となったイギリス兵によって過酷な当時の扱いが披瀝された。そしてそれはビタミン欠乏症によるものであろうと教授の解説が加えられた。昭和57年当時(現在でもそうであろうが)ユダヤ系教授がいてドイツ、イタリア系学生との間で講義の中でもお互いに心的緊張感が発生したことも少なからずあった。シンガポールの話が出た時も私はいささかばつの悪い思いをした事を今でも思い出す。そこで何がなされたのか戦後生まれの小生には知るよしもなかった。留学後四半世紀を超えた今、日本人と英国人がアジアで何を見、何を経験したのか、デビッド リーン監督の映画“戦場にかける橋”を観てみた。そしてその現場に行き足跡を合わせたいと思った。
昭和録を紐解くと、当時日中戦争は長期化し泥沼化していた。蒋介石を後方から援助している兵站(ラングーンから昆明へぬける援蒋ルート)を断ち切る必要があった。海路ビルマを占領したが後にベンガル湾の制海権を失ってからシンガポールからタイを経由し陸路ビルマの既存鉄道網へ接続しビルマ北部の日本兵に物資を供給する必要に迫られていた。またインドへ向かうインパール作戦への布石もあって鉄道(泰緬鉄道)の敷設が急務となった。1942年6月イギリス人を中心に連合国捕虜61,000人現地多国籍労務者200,000人を動員してタイのノプラドックからビルマのタンビューザヤットに向かう415kmの過酷な作業が開始された。作業はジャングル、伝染病、仮借のないスコール、恐らくは虐待そして何にもまして食糧不足があり過酷の極みであったと云う。今のように重機は無い。揺れ動く松明の薄明かりの中、昼夜を徹してシャベルとモッコで石山を切り通し、“地獄火峠”の名が残る地もあると云う。努力と苦難の末、多数の死者を出しながら5年の見積もりを短縮し1943年10月17日には完成にこぎ着けたのであった。その後捕虜は、日本送還、残留保線要員、シンガポール収容所へと三分割され勿論解放される事は無かった。結果、橋は木造と鉄橋の2橋(映画では木造橋のみ)が架けられた。木橋は後に災害で流され(映画では爆破されている)鉄橋は改造を受けたものの現存する。現地で実物を見ると日本の鉄道に比べ少し小さい気もするが、向かい合わせで背もたれが90度に直立するボックスシートで、それほど古くない日本の田舎列車の呈である。そんな列車に乗りカンチヤナブリのリバークワイブリッジ駅で下車すると、橋は目前にあった。クワイ(現地ではメークロン)川の幅は映画のように峡谷ではなく、むしろ大河の趣がある。4~5本ある橋脚はコンクリートでその上に小作りで無骨なアーチ型の橋梁が連なり対岸の鬱蒼としたジャングルに吸い込まれていく。レールの間には歩いて渡る人のための板が渡してある。下を見ると鉛色の大河が蕩々として流れ、岸辺にはコテージ風の水上レストランが幾つも軒を並べている。我々の父親の時代、ここが脱出不能なジャングルの生き地獄であった、とは想像することもできない。
今、カンチアナブリの市内に日本兵の慰霊塔と整備清掃された連合国兵士の広大な共同墓地がある。後者に比して日本兵慰霊碑はあまりにも小さい。が現地人の墓守もいて清掃は行き届いている。侵略軍に対して慰霊碑を設け、維持管理を続けている点、労を多とし素直に感謝すべきであろう。タイ政府は一時英米に対し戦線を布告したが連合国はこれを認めず、終戦後は速やかに戦勝国として扱われたと云う。複雑な経緯があったのであろう。何れにしても戦後65年、クイーンスクエアの臨床講義でイギリス兵捕虜の生々しい話を聞いてから四半世紀を経た今、クワイ川鉄橋の上に立ち周囲に目を巡らせば、町は観光客で溢れ、川は何事もなかったかのように全ての艱難辛苦、野望と挫折すなわち歴史を飲み込みながら滔々と流れて止まない。
2010 7 19
作 脳神経外科 榎本 貴夫
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